院長エッセイ集 気ままに、あるがままに 本文へジャンプ


歯ブラシ



 時々、思い出したように洗車をする。いつもは水で洗い流すだけのお手軽洗車なのだが、その日の朝は、アルミホイールの汚れのひどさに、少し気合いを入れての作業となった。メッシュタイプのアルミホイールだが、購入当初の「レトロチックでステキ〜。ウヒウヒ」という時期が過ぎると、ただ洗いにくいだけのやっかいもので、細く入り組んだ所の汚れは、洗車ブラシや水圧だけではなかなか取れない。「そうだ、何か歯ブラシのようなものがあればきれいになるかも。」私は勝手口に回って、リビングのソファーでうたた寝をしている細君に声をかけた。

「使い古しの歯ブラシないかな。アルミホイールを洗うのに使いたいんだけど。」

「たしか洗面台の下に一本あったはずだわ。」

私は、勝手口近くに置かれている籐のカゴの中から、細君のものとおぼしき洗濯物を素早く引っ張り出し、それで濡れた足をそそくさと拭くと洗面所へ向かった。洗面台の下で見つけた歯ブラシは、ついこの間まで細君が使っていた物だ。ちょっと下品なイボイボのついたピンクの柄の部分に見覚えがある。手にとってみると、まだ新しい。私は不安になって、細君に大声で尋ねた。

「歯ブラシあったけど。これまだ新しいよ〜。」

「なに言ってんのよ。よく見てご覧なさい。毛先が開いているでしょ〜。」
言われてみれば、外側の列がわずかに反っているようだ。

「まだ使えそうだよ。」と言おうとしてやめた。細君に見せに行くのも面倒なので、「ふーん。」と生返事をして、その歯ブラシを手に勝手口を出た。我ながらケチくさい自分に苦笑しつつ、車の所に戻ると再び作業に熱中。久々にきれいになった愛車とぴかぴかのアルミホイール。ひと仕事終えた充実感。シャワーで汗を流す。洗面所の窓からは爽やかな風と穏やかな日射し。今日もいい日になりそうだ。鏡に映る自分も十歳若返ったようだ。気分上々で、歯を磨こうと自分の歯ブラシを手に取った。不思議な違和感が脳裏をよぎる。見てはいけない物を見たような、、、錯覚か?いや現実だ!私は気を取り直し、勇気を持って歯ブラシを見つめた。毛先が開いている。先ほどホイール洗いに使用した細君の御用済み歯ブラシの開き方が、チューリップだとすると、私の現役の歯ブラシはガーベラの様に開きまくっているのだ。いままで気にもとめなかったのだが・・・。歯ブラシ等の備品の購入・管理は細君の仕事だ。台所で朝餉の支度中の細君に、気分を害さぬよう穏やかな口調で話しかけた。

「あの〜。私の歯ブラシも毛先が開いちゃってて、そろそろ替え時ではないかと・・・。」

トントンと包丁の手も止めず、細君がさらりと答えた。

「少しくらい毛先が開いている方が、歯の隙間に入っていいんだってば。」


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